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2012年07月26日
7/22NOAH両国うろ覚え書き
思い出すままつらつらと。
●やっぱり「デカイ」は正義。
モリシにしてもマイバッハにしても力皇(引退したけど)にしても、プロレスラーにとってデカイは正義だと改めて思う。
モリシのバックドロップはジャンボ流のそれではないが相手と一緒にズダーン!とマットに落下するだけで、プロレス的祝祭空間になるんだよね。
ただ俺にはモリシがおネエに見えて仕方がないことがある。
(主にアジャ風横回転バックドロップと横トペとデカいケツのせい)
ファン感でモリシ・デラックスとかやってくれないかなあ。
●ジャパニーズプロレスヲタ丸出しのサモア・ジョー。
はじめて見ましたが、いい選手じゃないですか。あの体でエルボー・スイシーダやらブサ膝やらをかまされたら拍手するしかありません。シリーズ参戦とか無理ですかねえ。
●ジュニア戦線異常なし。
いい人材が集まってるよね。
●丸藤対KENTA
「ここ数年はお互いの復帰戦での対戦ばかり」というアナウンスが切ない。
言うたらジュニアの三沢対小橋とか小橋対秋山なので、お互い大事に戦っていただきたい。
新日本/UWF系なら、おもむろに第1試合で対戦とかするところだよね。
ところで丸藤の上半身が最近ガンダムに見える俺。
胸板の傾斜とか、締まってるわりに太い腰とか。
●思ったよりいいじゃないかマイバッハ谷口
ああいう「何考えてるかわからない系ヒール」は、日本マット界的に空き家なんじゃないだろうか。
基本ジュニアのTAJIRIと打ち合うとガタイの良さも際立つしね。
●藤原組長 goes on.
若干カウントが微妙な気もしたし、まだまだ引き出しは全部開いてないでしょ?という感じもするのだが。
長屋の雷親父が、昔面倒を見た近所のハナタレ坊主の顔を見に来たとか、そんな感じじゃなかろうか。
どっちかというとヨネはどう思ったのかなあ。
●もうすぐ
「四天王」なんか知らないプロレスファンの時代が来るんだろうなあ。
そう思った。それだけ。
2012年07月16日
大津いじめ自殺事件
繰り返される悲劇に多くを語ろうとは思わない。
加害者の特定は何かのゲームだろう。
この事件について語るべきことは、
かなり早い時点で「いじめ」の枠を超えてしまっていたのではないか、ということと、
そのときに誰が何を出来たのか、ということだけだ。
それは単に教師や親や同級生だけの問題ではない。
と言うか、それらの人々が「気付く」事が重要なのは言うまでもないが、
気付いたあとにどうするか。
それが重要なのではないか。
ありていに言えば、地域にはさまざまな専門家が居る。
それらの人々は、この事件にどのように関われたのか。
あざが出来るほど殴られたと言うならば、
たとえば養護教諭や医師は診察の機会を得ることが出来ただろうし、
職権と経験において彼を保護することが出来たはずだ。
警察は刑事事件にならない限り動くことが出来ないが、
弁護士なら民事の段階で動くことが出来る。
被害者(と加害者)に心のケアが必要だったのであれば、
地域にはその専門家も、ソーシャルワーカーから精神科医まで居るのだ。
それらが機能しなかった事実について、我々は考えるべきだ。
その枠組みの中でこそ、親や教師のアンテナの鈍さを論じるべきなんじゃないだろうか。
1から10まで学校や家庭に解決できると言う思い込み自体が間違っているし、
教師や親に解決できない問題は直ちに警察に相談する、と言うのは、論理の飛躍だ。
社会はそれほど単純でもなければ難しくもない。
と言うわけで、とりあえず医師会と弁護士会は、直ちに何か言ってくれ。
2012年07月06日
非公認戦隊アキバレンジャー
俺は特撮はあんまりわからないので、赤木さんが劇中で言ってる固有名詞とかは全然わからないわけだが。
今のところ2012年善光寺様賞最有力候補と言ってよいほどドハマりして見た。
なんでこんなにハマっちゃったかね、と思うわけだが、個人的に考える見所などつらつらと書いてみることにする。
1.良く練られた脚本
キャラの立ちっぷり、テンポの良い会話、盛り上げ所と締め所のバランス等々、いろいろ絶妙だった。
会話のテンポは役者の演技によるところも大きいんだろうけど、後述。
2.魅力的な役者陣の意欲的な演技
そもそも変身ヒーローものって、かなりハイブリッドな構成になってるんだなあ、と、改めて認識したわけだが。
それはそれとしても、役者陣の魅力と意欲が良く伝わる作品だった。
赤木さん
安定した三枚目熱血ヒーロー演技だった。
現実で変身するシーンの、腹の底から叫ぶシーンとか最高だった。
日南響子(美月=ブルー)
クール設定だったので表情とか声の芝居では若干ワリを食った気がするが、アクション未経験にしては良く動いていたし、時々出ちゃってる素がチャーミングで良かったと思います。
あと、パンツを見せない技術がすごいw
荻野可鈴(ゆめりあ=イエロー)
ママ上京回辺りからぐいぐい引き込まれて、最痛回の「ゆめりあ、いっきまーす!」で萌え殺されかけた。
コスプレイヤー設定のせいでくるくる変わるキャラクターを消化して演じきっていただけで100点なのだが、俺が注目したのは小道具使いのうまさ。
ゴスロリとミツバチの時に、しゃべる設定の小道具(マネキンの頭とハチのぬいぐるみ?)を持っているのだが、ちゃんとアクセントになるように使ってるんだよね。あれ結構難しいと思うんだ。
内田真礼(ハカセ)
顔の芝居はときどき間違えていた気がしないでもないが、声の芝居は多彩だった気がする。まあそっちはプロだしね。
あと、立ちポーズがいちいち決まりすぎなのは何なんですか。
愛川こずえ(三田こずこず)
オープニングの後ろでやってるダンスのキレはもちろん、随所でいい味出してる気がするんだよね。
特にドクターZ登場の次の回の、テロップ係ショボーン⇒全然似てないよショボーン⇒CIAからの電話に自己紹介 の流れが、途中まで全くしゃべってないのも含めて可愛らしかった。なんか小動物みたいな効果音出てるし。
長くなりましたので、ステマ乙の皆さんについては割愛いたします。
みんな仕事が増えて2期やろうとしてもスケジュールが取れないぐらいになっちゃえばいいよね。それはそれで。
3.俺は要するにオタクが活躍する話が好きなのだと思う。
アキバレンジャー見ながら大根さん版アキハバラ@DEEPを思い出してましたよ。
「オタクがオタク的趣味で世界(仲間であり、もっと大きな世界そのもの)と繋がる物語」という意味では、両者は通底するものがあると思う。
@DEEPはただのオタクというより治療が必要なレベルの連中が多くて、アキバレンジャーはそれと比べればずいぶん明るくアクティブなオタクばっかり(赤木にせよゆめりあにせよハカセにせよ)なんだけど、どちらもバカバカしく、屈託なく、仲間と一緒に大きなものに立ち向かっていく姿が見てて清々しい。
オタクのひとつの理想というかほぼ幻想(あるいは「妄想」)、と言えばそれまでなんだけど、いいじゃないか。物語の中でぐらい理想を語っても。
あと、僕は「ええーーーっ!?」って言う芝居が相当好きなんだと思う。
2012年07月02日
パトロン制でいいじゃないか、っていう人がいるけれど
知ってる?
パトロン制って基本的にパトロンの名声のために作品作るんだよ?絶対俺らの方には顔が向かないよ?
っていうか、モーツァルトやミケランジェロをイメージして言ってるんだと思うけど、僕らが視聴してるコンテンツは大衆文化な訳で、むしろ浮世草子やサーカスなんかに近い。
(滝沢馬琴が原稿の催促されてうんざりする小説があったな。戯作三昧(芥川)か)
バブルの時代に企業メセナとかやってたけど、結局美術品買ったりハコモノ建てたり、高尚で脆弱で高いばっかのお芸術イベントやってただけだし、景気が悪くなったらぱたっと止めてしまった。
サントリーホールもオーチャードホールもいいハコだとは思いますけどね。
その後のパトロンの例って言うと、グッドウィルの折口社長とかで、あの子とか食われちゃってるんだろうなーと思うし。
ブシロードさんはよくわからん。
で、今一番パトロンっぽいことやってるのはパチンコ業界なんだが、それでいいのかね??
俺は今「CR輪るピングドラム」が一番怖い。まんじゅうこわい的な意味ではなく。
それでもメジャーは必要だ。
大基本スタンスとして。
儲かる可能性が高いジャンルに才能は集まると、俺は思ってる。
少なくとも大衆娯楽においては。
同じ大衆娯楽として、プロスポーツに置き換えるとわかりやすいんだけど、アメリカでサッカーが2流スポーツなのは稼ぎにならないからだ、という話がある。
あの国で儲かるのはアメフトと野球とバスケで、だから競技人口も多いし、人材も集まりやすいと。
日本で言うと、野球と相撲が両巨頭だろうか。あと、指導者人口まで含めると柔道と剣道。
よくバレーボールはアレだけデカイのを確保していると思います。
まあニワトリタマゴではあるんだけどさ。
そもそも人気があるスポーツだからプロとして成立して、収入も増えるから選手の給料も高くなるっていう。
それと同じ話。
やらしい言い方になるけど、コンテンツ業界にも「一山当てる」仕組みは絶対に必要なのだ。
チャンスがあるから、日本の才能は音楽と漫画に集中するんだよ。少なくとも娯楽においては。
一人や少人数・小資本でも始められて、ステップアップのルートがあって、ブレイクすれば大儲けできるっていうジャンルね。
そのために、何らかの「メジャー」は絶対必要なのだと思う。
それがパッケージ業界である必要はないにせよ。
ただし、それは彼らの代わりになるメジャーが十分に育ってるっていう条件がつく。
一方、彼らが今の彼らのまま未来永劫生き残れるとも思わないのだが。
小説のシュリンクは言うに及ばず、
映画が一時衰退して、結局今もテレビ企画の延長上にある作品に支えられてるのは、最初から映画業界に入った人が成長して大監督になるような仕組みが存在していないためという側面があると思う。
今から思えばアホかと言うほど映画が作られていた時代とは違うのよね。
で、周防さんとか井筒さんとかは、その時代のほぼ最後の残党。
映画人はテレビは小粒だと言うけれど、それはメディアとしての質の違いもあるし、あの時代に作られていた映画が全部大作だったり、作家性があったりと言うわけでもあるまい。
たとえば、男はつらいよ と、裸の大将 の間に、そんな大きな断層があるとは俺には思
えない。
で、文学界や映画界は一生懸命スター作家やスター監督を作ろうとしちゃポシャってるし、スポーツの世界で言うとプロレスとかボクシングになると、清原やイチロークラスのアスリートの参入はほぼ見込めない。
最近のアイドルにありがちな、ガチのドルヲタがアイドルやってます的な話は、マニア視点で言うと必ずしも悪いことではないと思うのだが(ファンの気持ちがわかるとか、アイドルのアイドル的技術が継承されやすいとか)、やっぱりあの業界もシュリンクしちゃってるんだな、と思ったりもする。
で、似たような状況でもっとまずいのが女子プロレス。
元々ファンしか目指さないスポーツだったのに、市場がシュリンクしきっちゃってて選手を目指すファンすらいない。
そのような状況が、絶対的メジャーなきジャンルのなれの果ての姿だ、と言い切ってよいと思う。
(そういう意味では外からスターを連れてくることができた松永一族は正しかったし、風香やゆずポンを核に据えたスターダムのやり方は賛否両論あるにせよ間違ってはいないんだろうな)
だから。
今のCDメジャーや出版メジャーは何やってんだ、とも思う一方、たぶん彼らがこのまま消えたら、間違いなく音楽文化やコミック文化そのものも衰退する。
「野心」の受け皿が無くなるのだから。
そうなる前に、今いろんな人がやってるチャレンジ(やり方というか理論構成に無理があるものも多いけど)が実を結ぶといいなあ、とも思うし、せめて「今のメジャー」には、次のメジャーにバトンを渡すぐらいの時間は与えてあげないとまずいんじゃないのかな、と思う。
彼らが持ってるモノ作りのノウハウは、円盤や包装を作って宣伝する以外にも膨大なものがあるはずで、それが失われるのはそれはそれで損失だよね。
ぼかー同じことを10年前から言ってるんですが。