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2012年07月02日

それでもメジャーは必要だ。

大基本スタンスとして。
儲かる可能性が高いジャンルに才能は集まると、俺は思ってる。
少なくとも大衆娯楽においては。

同じ大衆娯楽として、プロスポーツに置き換えるとわかりやすいんだけど、アメリカでサッカーが2流スポーツなのは稼ぎにならないからだ、という話がある。

あの国で儲かるのはアメフトと野球とバスケで、だから競技人口も多いし、人材も集まりやすいと。
日本で言うと、野球と相撲が両巨頭だろうか。あと、指導者人口まで含めると柔道と剣道。
よくバレーボールはアレだけデカイのを確保していると思います。

まあニワトリタマゴではあるんだけどさ。

そもそも人気があるスポーツだからプロとして成立して、収入も増えるから選手の給料も高くなるっていう。

それと同じ話。
やらしい言い方になるけど、コンテンツ業界にも「一山当てる」仕組みは絶対に必要なのだ。
チャンスがあるから、日本の才能は音楽と漫画に集中するんだよ。少なくとも娯楽においては。
一人や少人数・小資本でも始められて、ステップアップのルートがあって、ブレイクすれば大儲けできるっていうジャンルね。

そのために、何らかの「メジャー」は絶対必要なのだと思う。
それがパッケージ業界である必要はないにせよ。
ただし、それは彼らの代わりになるメジャーが十分に育ってるっていう条件がつく。
一方、彼らが今の彼らのまま未来永劫生き残れるとも思わないのだが。

小説のシュリンクは言うに及ばず、
映画が一時衰退して、結局今もテレビ企画の延長上にある作品に支えられてるのは、最初から映画業界に入った人が成長して大監督になるような仕組みが存在していないためという側面があると思う。
今から思えばアホかと言うほど映画が作られていた時代とは違うのよね。
で、周防さんとか井筒さんとかは、その時代のほぼ最後の残党。

映画人はテレビは小粒だと言うけれど、それはメディアとしての質の違いもあるし、あの時代に作られていた映画が全部大作だったり、作家性があったりと言うわけでもあるまい。
たとえば、男はつらいよ と、裸の大将 の間に、そんな大きな断層があるとは俺には思
えない。

で、文学界や映画界は一生懸命スター作家やスター監督を作ろうとしちゃポシャってるし、スポーツの世界で言うとプロレスとかボクシングになると、清原やイチロークラスのアスリートの参入はほぼ見込めない。

最近のアイドルにありがちな、ガチのドルヲタがアイドルやってます的な話は、マニア視点で言うと必ずしも悪いことではないと思うのだが(ファンの気持ちがわかるとか、アイドルのアイドル的技術が継承されやすいとか)、やっぱりあの業界もシュリンクしちゃってるんだな、と思ったりもする。

で、似たような状況でもっとまずいのが女子プロレス。
元々ファンしか目指さないスポーツだったのに、市場がシュリンクしきっちゃってて選手を目指すファンすらいない。
そのような状況が、絶対的メジャーなきジャンルのなれの果ての姿だ、と言い切ってよいと思う。
(そういう意味では外からスターを連れてくることができた松永一族は正しかったし、風香やゆずポンを核に据えたスターダムのやり方は賛否両論あるにせよ間違ってはいないんだろうな)

だから。
今のCDメジャーや出版メジャーは何やってんだ、とも思う一方、たぶん彼らがこのまま消えたら、間違いなく音楽文化やコミック文化そのものも衰退する。
「野心」の受け皿が無くなるのだから。

そうなる前に、今いろんな人がやってるチャレンジ(やり方というか理論構成に無理があるものも多いけど)が実を結ぶといいなあ、とも思うし、せめて「今のメジャー」には、次のメジャーにバトンを渡すぐらいの時間は与えてあげないとまずいんじゃないのかな、と思う。
彼らが持ってるモノ作りのノウハウは、円盤や包装を作って宣伝する以外にも膨大なものがあるはずで、それが失われるのはそれはそれで損失だよね。
ぼかー同じことを10年前から言ってるんですが。

投稿者 ushila : 2012年07月02日 19:15

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