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2009年04月20日

ヨハン・クライフも還暦だそうな。

おいらはどっかで洗脳されていて、世界最高のサッカー選手といえばヨハン・クライフだと思い込んでいる。
そのクライフだが、ちょっと見ではワケのわからない「語録」を残していることでも有名だそうな。

還暦にかこつけて、オランダで「クライフ語録のベスト7」なるものが発表されたそうだ。
(なんでベスト7?そこは5か10か11か14じゃねーの、って言う)

1.「どんな欠点にも長所がある」
2.「ボールを持っていれば、点を取られない」
3.「いくら点を取られても、相手より1点多く取ればいい」
4.「理解できるまでは分からない」
5.「イタリアは勝つことができなくても、われわれがイタリアに負けることはある」
6.「彼らの守備はヤギのチーズ(チーズの穴=穴だらけという慣用表現の言い間違い)」
7.「ウン・モメント・ダド(クライフによって作られたスペイン語表現。“あるときに”という意味)」

おいらサッカーのことはあんまわかんないのだが、それでもクライフの言うことには共感するところがある。
一流の天才とかひとかどの狂人が言うことは、時々あらぬ方向から真実をえぐってくれて楽しいよね。

で、そのサッカー門外漢のおいらがクライフ語録から引っ張り出すとすれば(順不同)。

1.「月並みなやり方をするくらいなら、自分のアイデアと共に心中した方がマシだ」
  前の記事でも書いたけど、月並みなやり方で突破できるほど世の中が単純なら、
  俺なんか要らんでしょ。くらいのことは、常に思っている。

2.「理解しない限り、わからない」
3.「この話をあなたに理解して欲しかったら、私がもっとうまく説明したはず」
  これはぜひコンボで使いたい。
  最近、特に政治がらみで「説明責任」なんて言葉がかまびすしいが、
  「理解しない」ための理屈はいくつでもあるし、
  一方で「理解する」ことによってしか開かれない世界もあると思うのだ。
  俺がなぜその方法を取ったか。
  あなたに「理解する」つもりがあるなら俺はいくらでも説明するけど、
  「理解しない限り、わからない」と思いますよ?

4.「時々、何かが起きる前に、何かが起きなければならない」
  前者を「奇蹟」のようなものと考え、後者を「過程」と読み替えれば、
  これほど明快なことはない。
  何か奇跡的な偉業が達成されるときには、
  その過程においてそれを「必然」とする「何か」が起きている。
  だから、もう一度同じことをやれと言われても出来ません。
  過程において別の「何か」を起こす方法から考えますよ。と。

5.「間に合う瞬間は一つしかない。その時に間に合わないと、
   早いか、遅いか、どっちかだ」
  フツー、「早い」ってのは間に合ってるんですが。
  早すぎると「時期尚早」つって却下されるのも人生だよね。(ため息)

6.「どの短所にも長所がある」
7.「良い監督は、あるプレーヤーの短所を別のプレーヤーの長所でカモフラージュする」
  もうね、私なんか短所のカタマリですから。
  それでもざっくりやっていけてるのは、どの短所にも長所があるからでしょう。
  そして、俺の短所を他の人の長所でカバーできる指揮官の下でやれてた、ってのもある。

8.「アヤックスとはサグラダ・ファミリアのようなもの。
   どちらも1日でできあがるわけではない」
  ぶっちゃけ、「永遠に完成しない」でいいじゃないか。とは思いますが。
  俺の組織も、あなたの組織もたぶんそうでしょ?

9.「まずボールをコントロールする、それがすべての基盤だ。
   もしボールをコントロールできないなら、ボールを追って走る事になる。
   それは別のスポーツだ」
  まずイニシアチブをとる。それが全ての基盤だ。
  もしイニシアチブが取れないなら、相手の言い分に翻弄されることになる。
  それは仕事ではなく、別の何かだ。
  というわけで、「仕事」が「別の何か」に化けてることって間々あるよね。

10.「ダメな奴らが走るんだ。相手をもっと走らせろ」
   まあ、我々はクライフではないので。往々にして「走ってる」わけなんですが。
   必要以上に走ってることに気がつかないようでは、真剣にダメだと思うんだよね。


というわけで、自称「鳥繁のクライフ」は、まだまだ行くよ?

投稿者 ushila : 00:53 | コメント (0) | トラックバック

2009年04月18日

ブログタイトル変更。

隣の部署の大先輩におとなしい、とか心配されたらしい(伝聞)。

まあね、確かにね。
まだ、元来読めない空気を一生懸命、必死こいて読んでますよ?
多少仕事はおぼえてきたつもりでいますが、やっとふざけるスキを見つけ始めたところですよ?

こちとら芸人なんですから、端から仕事を真正直にやる気なんてありませんよ?
いつでもふざけるスキとブレイクスルーを作り出すべきフィールドを探してますよ?


いやいやいや。そうじゃなくて。
ふざけた結果もブレイクスルーの成果も、俺は周囲に還元しますよ?
芸人ですから。


上の顔色ばっか窺がって、下向いて鬱々としながら黙々と仕事をする部下がお入用なら、どうぞチェンジしてください。

こちとらヨハン・クライフじゃないですが、自分のアイデアと心中する覚悟ならとっくに出来てます。

芸人ですから。
っていうか。

ああ。芸人だとも。

投稿者 ushila : 00:03 | コメント (0) | トラックバック

2009年04月17日

ソウルフラワーユニオンに入門する。

「満月の夕」~90's Singles~ (ソウルフラワーユニオン)

唐突に「満月の夕」が聴きたくなって、閉店時間間際の新宿タワレコへGo。
(標題作になってるだけあって、4バージョンも入っててうっひょーな感じ)

沖縄に行ったばっかの頃に「豚の報い」って言う映画があってさ、主題歌に使われてて、叙情的でいい曲だな、と思ってた。
(当時は沖縄ミュージシャンの作品だと信じて疑わなかったさ。だって三絃の音してるし)

で、あとから(ぶっちゃけ去年ぐらい)ソウルフラワーユニオンという人たちが歌ってると。
さらに、阪神・淡路大震災の後の光景を歌ったものだという事を知ったわけですよ。
そう思うとさ、胸にずしんと響くわけですよ。

全てを失ったように思えたあの街にも、いのちだけはあったんだよと。
いのちには、笑い、歌い踊る力強さがあったんだよと。

というわけで、ソウルフラワーは俺の中で「いつかちゃんと聴く」べきアーティストにカテゴライズされていたわけだが。

……しかるに、なんですか?
このいろんな意味でバーリ・トゥードな人たちは?

ザクザクとしたフォークロックがあると思えば、三絃にケルトにチンドンに、笠置シズ子まで歌ってるぢゃないですか。
ライブもスモーキー・マウンテンだ東ティモールだ北方領土だ辺野古だのでブチかましてるし。
歌詞の内容も伊達に「ユニオン」って付いてないようなのがあるし。

……いやあのね。
おいらとしても、「歌謡曲」の本質は、「なんでもあり」なんだと思ってるよ?
しかしこの人たちは、おいらの許容範囲を超えた「なんでもあり」をやらかした上で、エンターテインメントとして成立させちゃっている。

そんなこんなで、「歌謡曲」の世界は、俺が思っている以上に広かったらしい。
ジャイアント馬場さん的に言えば、「なんでもありを超えたもの」だったようだ。
(そういう意味では、この国のこの時代に生まれたってことは、すごく幸福なことだと思うんだよ?)

となると俺は、俺より強いヤツに会いに行かねばならん……のだが。
まずはソウルフラワーユニオン師匠に、じっくり稽古をつけてもらうことにする。

投稿者 ushila : 19:51 | コメント (0) | トラックバック

座右の銘は「言うだけタダ」

と、かれこれ10年言い続けてる。
(いや、沖縄に行く前からだから、もっとか)

言うだけはタダなんだから行動で示さなきゃダメだ、と言う意味もあるし、
言うだけはタダなんだから思いついたらためらうな、と言う意味でもある。

人間は考える葦である、なんて言葉を今更引き合いに出すつもりはないが、
(内言化も含めて)言葉にしなきゃ始まらない事なんざ、山ほどある。


で、それはそれとして。
それ以外にも胸に刻んでいる言葉がある。


否定することは、肯定するよりも容易い。

「嫌いだ」「ダメだ」と言うための理由付けはいくらでも出来るが、
「好きだ」「よい」と言うことには理由がないのだそうだ。
(斉藤和義の「君の顔が好きだ」なんか、そういう歌だと理解しているのだが、
 それもそれとして)

感情に押し流されていつも忘れがちになってしまうが、
冷静になった後に打ちのめされる。

何事にも批判(ネガティブな意味で)と謝罪要求のかまびすしい現代だが、
そこに安易な方法でカタルシスを得ようとする浅ましさのようなものを
感じるのは俺だけではないと思ってるんだけど、どうかな?


内輪の言葉は多少ぞんざいでいいと思っている。

丁寧で美しい言葉遣いを気にするあまり伝えるべきメッセージが脱け落ちたり、
思ってもいない余計なノイズが混ざってしまうぐらいなら、
正確性やメッセージの純度にこそ気を配るべきだ。
たとえ相手がシャチョーであろうと。
ヘタすりゃそこに混ざりこんでるのは礼儀ですらなく、虚栄や媚だ。


一つ一つの質問に、必ずしも正解を急ぐ必要はない。

いくつかの問題が折り重なった課題を解くのに、個別の問題の正解の和(あるいは積)は、
必ずしも「最適解」ではない。
そこでは個別の問題のウェイトの差や、検討すべき問題の過不足が見過ごされがちになるのだから。
直感で歪だと思えてしまう「正解の和」は、だいたいそんな風にして生まれる。

何なら最適解なんか導き出すヒマがあれば、一長一短ある幾つもの解をぶちまけたり
オカモチに隠しておいたほうが、物事はうまく行っちゃったりするような気がする。

っつーか俺はときどき正解なんか求めてない。求めてるのは感情やブレイクスルーだ。
君が「そんな苦しい事やりたくありません」って言ってくれれば、
俺は他の方法だって用意してるかもしれないよ?

投稿者 ushila : 00:16 | コメント (0) | トラックバック

みんな自分が思ってるほど大したこと無いんだよ。

って言ったら、後輩に「それもヤな感じじゃないですか」と言われた。
どうも真意が伝わっていなかったようなので、ここに言い訳を書いておく。

周りから見て明らかに凄いヤツ、なんてのは、やっぱどこの組織にも数えるほどしか居ないし、それが組織全体に轟き渡るほどとなれば、なおさらだ。

だから、
自分の周りの人から、頑張ってるね、よくやってるね、と声をかけてもらえるならまだマシで、ぶっちゃけそれが給料や出世に結びつくかどうかなんてことは、あんまり期待しないほうがいいのだと思う。
そこにはもっと複雑な(たぶんに人文学的あるいは政治的な)要素が介在するのであって、正味な話、これだけの成果、というインプットに対して、これだけの見返り、と言うアウトプットが常に期待できると言う性質のものでもあるまい。
(能力と結果が直接結びつくのは、個人商店だろうかね。開業医とかサムライ業の個人事務所とか含めて。そこで求められる能力も単純な技能ではないと思うけど)

自分の努力が報われない、と思っている人間に言うことは、2つしかない。
1つは、お前程度頑張ってるヤツは他に山ほど居るんだろうよ、ということだし、もう1つは、たぶん努力の範囲や方向性が間違ってるんだろうね、ということだ。

会社組織なんてものは、採用試験で篩にかけた人間が集まってるわけで、少なくとも世代の近い人間同士に根本的な能力の差なんて無いと思ったほうがいい。
適正の差こそあれ、きちんとした指示・命令や自律に従って仕事をしてる限り、そこから生まれてくる成果なんてさほど差が無い、ってことだ。

一方、努力の範囲や方向性が違う云々の話だが、状況が悪くて実力が発揮できないと言うならば、状況ごと根こそぎ変えてしまえばよい。
転職したり、もっと自分の実力が発揮できる部署への異動を願い出るのもひとつの手だが、自分が今居る環境を自分の手で作り変えるのだってひとつの努力の方向性だし、そのやり方はたぶんいくつでもある。
(寝技でも立ち技でも裏技でも、好きな方法でやればよい)

それをせずに、俺よりヒマなヤツが居るだの、うちの上司はバカだだのと、身近なモノやありもしないモノを攻撃するだけで、「状況」の中にとどまり続けるなら、その程度の器=自分で思うほどたいした事はないってことだ。

そういうヤツ=状況を打破する力までは持ってない「優等生」の群れだってことが、この会社の最大の問題点でもあるんだよ。たぶん。

投稿者 ushila : 00:13 | コメント (0) | トラックバック

2009年04月02日

山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ

あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

『度末までよーいどんだと思ったら
 いつのまにかゴールが自分の異動にすり替わっていた』

な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
おれも何をされたのかわからなかった…

頭がどうにかなりそうだった…

宮仕えの悲哀だとか大人の事情だとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ

もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…


……と、気分はポルナレフなわけですが。
(敵のスタンド名はたぶんワンルーム・ディスコ)

4月から新部署で働いてます。

ま、あれですよ。
前の部署に異動したのも必ずしも本意ではなかったわけですし、
異動なんていつもそんなもんです。

俺はそう簡単に変われないですが、
これからこそ、自分の真価が問われると思って頑張りますよ。

……春だね。

投稿者 ushila : 20:51 | コメント (0) | トラックバック