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2004年12月23日

うーむ。の続き。

俺にしてみても自分が書いた文章はかわいい我が子であるので、削除してそのまま、と言うのも好かない。
かといって、アレをあのままアップしたのでは、意図が正確に伝わらないような気がする。
と言うわけで、補足的なことをしてみることにした。

さて。
俺は、モー板小説を「遊び」と定義したわけであるが。
誤解しないで欲しいのは、「遊び=とるに足らないもの」ではないと言うことだ。
ここで言う「遊び」という定義は、「メタ芸術」というような意味合いである。
文章の後半で用いた「オタク遊び」という表現もほぼ同様だ。
いや、まあ、それらの中には「メタ創作」と呼ぶにも至らないようなものも多数あるのだが。


(以後、文中に「芸術」という単語が再三出てくるが、これは著作権法に言うところの「著作物」の定義から、「学術」をさっ引いたぐらいの意味で捉えていただきたい)


現在、芸術とか創作物とか言われているものは、歴史を辿れば「遊び」か、「信仰」(もうちょっと広義に捉えれば、思想)が起源であったと思われる。
(音楽というか、歌曲の起源というものをそのうちマジメに調べようかと思っているが、どうも無駄な作業になりそうな予感がする)

音を出すとか、絵を描くとか、物語を創るとか。
そうした作業は、基本的にそれだけで楽しい「遊び」である。
別にそのできばえを誰が評価してくれなくても、子供はお絵描きをしたり、少年はバンドなんか組んで、とりあえず誰かの家で練習のようなものをしたり、会社と人間関係に疲れたOLさんは思いあまって一人でカラオケボックスに行ったりする。

そこに聴衆とか観衆とか読者とか言う存在が介在して、それらのものに伝えたい思想や感情が「遊び」に乗っかって、「表現」とか「創作」とか言われ、それをすることを「芸術」と呼んだりする。

最近の音楽で言うと、ヒップホップなんて言うジャンルは、使う装置こそ新しいが、かなりそういう「遊び」が「芸術」になっていく過程をまざまざと見せつけてくれる格好のサンプルなんじゃないかと思う。

つまり。
「遊び」と「芸術」はものすごく近くにあって、しかもその間を隔てる垣根はめちゃめちゃ低いと、俺は考えている。

それでは、なんでわざわざ「メタ芸術」なんてめんどくさい単語を持ち出すのか。
俺が「オタク遊び」と定義したものも、少なくともそこで「創作」的なこと、「表現」的なことが行われている点については議論がないというか、否定するつもりは毛頭ない。
(このあたり、俺を古くから知っている人は、驚くんだろうなあ)

要するに、現代において「創作」や「表現」には、一定のルールの枷があると言うことだ。
むろん、表現手法のことを言っているのではない。
実在人物やキャラクターなどの固有名詞だの外見だのを利用したり、他の創作物の全部または一部、あるいは設定などを自分の創作物の中で利用したりするのであれば、それなりの権利関係の調整というものが必要になってくる、と言う話である。
PE’Zの「大地讃頌」が回収されたり、山崎豊子が訴えられたり、「ガンダム」の続き物を作れば、必ず富野由悠季や矢立肇がクレジットされたりするアレである。
(特殊な例として、「引用」とか、「パロディ」があるが、前者は学術、報道、批評などの目的に限って認められる概念であるし、後者に至っては日本国著作権法においては定義がないので、権利調整の根拠とするには心許ない)

やや冷たい言い方になるが、そういう「枷」の中で作られたものだけが、「芸術」だの「創作」だの「表現」だのと言う名前を頂戴する、と言うことだ。
最初から悪意や無知(法律的には無知という「過失」)で行われた剽窃はさておいて、ただ「枷」の中で作られなかった「創作」や「表現」の産物を「遊び」と呼ばないのであれば、「芸術」と本質的に同質でありながら、その要件を満たさないものという意味で、「メタ芸術」と呼称するしかない。
「文化」という言葉を使えば「サブカルチャー」だの「オタク文化」だの言う呼称もあるのだろうが、文化、と言うと、どうも個別の創作物を指し示す単語ではないと思う。


で、だ。
俺としては、「メタ芸術」から永遠に出てくるつもりのない「メタ創作者」とは、たぶんどこかで折り合わないだろうと思っている。
自分の創作活動への思い入れと、他人の創作活動へのリスペクトのバランスというものを、どうしても考えてしまうからだ。

しかし、「創作者」がその広義の創作活動の一環として生み出した「メタ芸術」を、頭ごなしに否定するつもりもないのである。

ここから先は完全な私信になってしまうが。
俺は、漫然と「思考停止」をしたわけではない。
思いっきり平たい表現をしてしまえば、面白いから読みたかったのである。
うまい表現が見当たらないが、程度の低い「メタ芸術」であれば、正直関わり合いになりたくない。

ただ、それでも、「面白いから読みたかった」という単純な衝動を、俺は自分に許して良かったのだろうか、と、自問自答せずにはおれないのである。

投稿者 ushila : 02:59 | コメント (0) | トラックバック

うーーーーーーーむ(悩)。

モー板小説というものは、知的財産権については深く考えないところから始まる「遊び」なんだな、と、思っている。

個別的な話になるとかなり長くなるので省くが、ざっくり考えて肖像権、パブリシティ権、一般的人格権、著作権と言ったあたりについては、かなり危ういか、明らかにアウトになってしまうものが大多数だろう。

そのあたり、読み手としてこれまで何も言わなかった自分についても、かなり思考停止していた部分があるので、猛省せねばなるまい。

これはモー板小説に限らず、オタク文化の重要なポジションを占める、マンガ・アニメ・ゲームなどの二次創作についても同様であり、ある意味では(誤解を恐れずに言えば)「オタク遊び」の特徴、と言えるのかもしれない。

さて。
実は軟着陸の地点を見失って、冷や汗をかいている。

遊び(趣味)だろうが本気(練習とか修行とか言われるもの)だろうが、商売(いわゆる商業ベース)だろうが、故意・過失を問わず、知的財産権の侵害について断じて肯定するつもりはない。

それでもあれら「遊び」が生き残ってしまっている理由は、
・侵害行為の当事者の特定の困難性
・侵害による損害の程度の特定の困難性

があることは言うに及ばず、
・所詮「遊び」は「遊び」という、好意的とも侮蔑的とも付かないオトナな諦観

あたりが、やはり該当するのだろう。
肖像権やパブリシティ権は権利の範囲に未だ議論があるし、一般的人格権は憲法解釈を伴うので、訴因としてデリケートすぎる。
著作権については親告罪でもあるし、文字ベースの二次創作をどうこうする前にやっつけなきゃいけない侵害行為が山ほどあるので、正直後回しになっている感は否めない。
(立法目的とか、表現の自由とかとのカネアイがあるような気もなきにしもあらず)

しかし、そこに何らかの知的財産権への侵害があることは事実である。
つまるところ、いわゆる創作系オタク遊びは、言ってみれば鬼ごっこの「マメ」
(地方によって言い方違うのかな。最初に捕まえられても次のおににならなくていい役)
扱いをされているだけの状態だと言える。

普通、いつまでも鬼ごっこのマメではいられない。
いつかは普通のプレイヤーになるか、鬼ごっこに誘われなくなるだけだ。
そのように、子供のルールはできているわけで。

そこのところ、創作活動を行う大人のルールも、大きな違いはない。
プレイヤー=他人の権利と自分の表現活動のバランスを取ることのできる創作者になるか、
創作活動の世界からスポイルされていくか、である。


さて。このコラムが軟着陸に成功したか否かは、読み手の判断に任せるとして。
いずれにしても、俺は「変節漢」の誹りを甘んじて受けなければなるまいな、と思う次第である。

(注:再録につき、エントリー番号が変わっています)

投稿者 ushila : 02:58 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月21日

ハリセン任侠、12月のカチコミ。

今度はアタックNo.1ですか。

これは、上戸彩がスポ根少女マンガ顔、と言うことですかね。

モーニング娘。、楽天ゴールデンイーグルス応援歌を熱唱。

まだ楽曲を聴いていないので、直接的な論評はしにくいのですが。
都内ホテルで発表披露会という段階でダメな匂いがプンプン。
だから去年から言ってるべよ、クライアントよりユーザー見て仕事しろってよ!

BAPE STA!
金の使い方間違ってるぞNIGO
2興業で3000万手に入るんじゃあ、日々の興業はなんだって話ですよ。ええ。

投稿者 ushila : 00:20 | コメント (1) | トラックバック

2004年12月10日

The 二枚目(メロン記念日)

なんつーか、懐かしい香りのするアルバムである。実に。

一昔前のいわゆるガールポップと呼ばれたアーティストの作品が、こういうにおいをさせていたなあ、と、しみじみしてしまうのである。

いい意味で言えば、メロンが少女のグループでなく、そこそこ大人のグループになったことによる表現方法の変化なのだろう。
非常に耳当たりはよいアルバムに仕上がっていて、そういう意味では悪くはない。

しかし。
せっかく複数の作家を参加させたわりには、今一つバリエーション感がないのは、残念でならない。
もっとこう、作家連中がシッチャカメッチャカやってしまって収拾がつかない、ぐらいの感じで行ってもらいたかったものだ、と切に思うのである。

あちこち破綻していてこそメロンではないか。
どっちかって言うと、楽器こそ持っていないが、ポップスグループと言うより、ロックバンドだと思ってプロダクトした方が、うまく行くんだと思うんだよね。
スキルだけで何となく乗り切れるような楽曲を与えてどうする。

というわけで、ふつーのアイドルっつーか、ポップシンガーとしての評価であれば、星は3つ半ぐらい差し上げられるが、メロンのアルバム、という評価の元では、せいぜい2メロン。

ライブで化ける曲があれば、ワタクシその場で土下座いたします。はい。

投稿者 ushila : 23:23 | コメント (0) | トラックバック

なっちさん2。

国仲涼子が出てきそうなタイトルであるが、例の件の続き。
よーするにあの後もぐるぐる考えている。

どーも、なっちかわいさに結論がブレた感が無くもない。

ちょっとネットを探し回れば、この件についてコメントしているサイトはいくらでもあって、その人の立場に応じて様々な意見が飛び交ってるわけですが。

安倍なつみがやらかしてしまったことと、少なくとも思慮が足らなかったことはこの際議論の前提。
別に弁護をするつもりもない。

そこに関して彼女は謝罪もしたし、活動休止というタレントとしての責めもうけた。創作活動停止云々は私はよくわかりませんが。
後は法律的にどう裁くかという問題が生じるのみである。
(そこを回避するための小芝居なのか?)

今回の騒動でとにかく違和感があるのは、やっぱり安倍なつみ一人の責任にしてチャンチャン、という空気になじめないと言う一点につきる。

チェック云々が机上の空論だったとしてもだ。
確実に言えるのは、安倍なつみには創作者としての教育など、何ら施されていなかったであろう、ということだ。

むろん、創作行為において、パクりの犯罪性など、教育される以前の問題であるという指摘ももちろんあって当然だ。
しかし、当たり前のことだが、著作権に対する考え方など、多くの人間は感覚的に理解しているにすぎない。
運転免許証のように創作免許証があるわけがないから(というか、当たり前だが、あってはいけない)、自動車教習所のように創作のルールを教える場所があるわけでもない。
(いや、なくもないけどな。何とかスクールのたぐいとか。自動車教習所みたいに一般的じゃないってだけの話で)
だから、そこに拡大解釈とか、そもそもの感覚の欠落が簡単に起こりうる。
(盗作という問題を離れても、引用やパロディという単語の一人歩きなどが顕著な例だ)

安倍なつみをプロのクリエイターとして売り出すならば、クリエイターとしての教育を事務所がきちんと行うべきであった。
本来であれば、そうした感覚をもっとも身につけるべき時期を、彼女はパフォーマーとしての自我形成に費やしていたのだから。

もし事務所がそうした育成の意識をきちんと持っていたならば、未然に防ぎ得た事件だったのだと思う。

写真集やエッセイ集にちょこっと載るポエムだからチェックが甘くなった、という、プロダクトに対するやっつけ仕事感以上に、タレント育成へのやっつけ感が漂うんだよ。俺的には。

そこが一番、気にかかる。

投稿者 ushila : 23:22 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月02日

ハリセン任侠 臨時カチコミ。

浦和レッズ優勝おめでとう。
本当に本当におめでとう。
最近、プロスポーツでどこが優勝しても、それで喜ぶ人がいるならいいかあ、ぐらいの心理になってしまう善光寺でございます。
っていうか、今年のレッズはベラボーな強さでしたので、逆らう気力もありませんです。ええ。
なので、それはともかくとして。

田中達也が「赤い彗星」とか呼ばれてるの(@スーパーサッカー)は、非常に違和感があります。
ずいぶんちびっこいシャアだなオイ。


紅白メンバー発表。
まあ、辞退した人は考えた結果でしょうから、あんまり裏を勘ぐらないことにしてですね。
各種報道でおもいっきりスルーされてる後浦なつみが不憫で泣けてきます。
(しかもあんなことになってるし)

娘。、Wとあわせて、一応ハロプロ枠3枠は確保なので、よしとすべきなのでしょうか。
えっ、Wは娘。とジョイントユニットですか?「かしまし」ですか?

投稿者 ushila : 22:23 | コメント (0) | トラックバック

なっちさん。

写真集だかエッセイ集だかで歌詞の盗作が判明したとか何とか。


最近、著作権については
みんな何となく知っているが、自分のことになると突然甘くなる
というのが、だいたい日本人のコモンセンスではないかなと思っている。


ネットでパクり疑惑でワイワイやってる人たちも、著作権侵害そのものを憤っているケースはむしろ少数派で、作家やアーティストを批判する依り代としてや、プロがあんなもんなんだから俺らも、という主張の根拠としての、批判のための批判、という印象が拭えなくて、あまり俺自身は乗る気がしない。

閑話休題。
ニッカンスポーツのキャプションはもうちょっと何とかならなかったか。

(写真:「素敵だな」と思い盗作に及んだ安倍なつみ)

て。
まあ、正直な話。
音楽業界に7年?もいるのに、盗作がまずいことぐらい認識がなかったのかとか。
認識があったなら、まさにこれぐらいばれないだろ的な気持ちでやらかしてるわけで、それはそれで安倍さんイメージ的にまずいでしょ、とか。
それにしてももっとうまくやれよ、とか(おいおい。

いろんなことを思うわけですが。
わたくし的には、事務所と出版社はどんな投げっぱなしで仕事してたんだと。
校了とかの段階で気づかんのか君ら、と。

どちらかというと、そっちの方が嘆かわしい。
何のための事務所、何のための編集者なんだと。
本さえ回収すれば済むと思ってないだろうな。

天使のイメージに泥を塗った罪も、ネットのジャリガキ並の見切り発車で本作って人様の権利を侵害した罪も、海より深いぞ。
というわけで、関係者は明日の放課後までに反省文提出!


と、そんなこと言ってたら安倍なつみさん、1月いっぱい活動休止ですよ。
紅白はともかく、カオリンの卒業コンサートに安倍さん不在は異常事態なのではないかと。

こんなのは違う。断じて違う。憤れモーヲタども!

参照1:虹の彼方に。
参照2:日刊スポーツ・コム   12月1日付記事  12月2日付記事

投稿者 ushila : 22:17 | コメント (0) | トラックバック