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2013年02月19日

またこういう報道を見ることになった

事件が起きて、犯人が捕まって、裁判を受ける。
判決は「最高刑」にならない。
被害者の遺族が遺影を抱え、目に涙をたたえて
「最高刑にならなければ私たちは再起できない」と訴える。

もともと刑事罰ってそういう制度だったか?と思う。
確かに刑罰制度っていうのは「復讐」の権利を国が取り上げて代行する、という制度であるので、一面そういう性質があるのは否定しない。が。

刑罰には「抑止効果」というものがある。
「この法律に違反した場合、こういう処罰を受ける」ということを明確化することで、犯罪を犯そうとしている人に対して踏みとどまらせる効果だ。

そもそも基本的人権の考え方において、犯罪者といえども身体の自由を不当に制限するべきではないというのが大前提なのであるから、「抑止効果」が十分に発揮される以上の刑罰を犯罪者に課してはいけないことになる。
(この手の話をする時にいつも例に出すのだが、江戸時代は10両=約150万円盗むと「死罪」だった)

こういう話をしていると、
「あなたの家族が殺されたらどう思うのか?」と問う人がいる。
が。

その質問自体がフェアではないし、冷静さを欠いている。
と思う。
フェアさや冷静さを求めるほうが無理なのかもしれないが。

被害者と被害者の家族の関係はさまざまだし、
被害者や被害者の遺族・家族にも、思想や信条はいろいろあると思う。
宗教上の理由とかね。
また、そもそも遺族がいない場合だってあるではないか。

そうした被害者の命は、犯罪者に厳罰を望む遺族の家族(変な日本語だ)の命よりも軽いのだろうか?

というか。
加害者から被害者への直接の償いを求める場は、やっぱり民事訴訟なのだ。
あなたの家族が損害賠償で置き換えられないのはわかるけれど。

被害者や遺族の心の傷をいやす場所は裁判所じゃなくて医療やカウンセリングの現場だ。

そこが未分化のまま進んでいる「被害者遺族の処罰感情」と「厳罰化」の議論は、法律論ではない。

投稿者 ushila : 2013年02月19日 22:41

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