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2010年08月18日

NARASAKIさんの音楽論が俺的に斬新だった件。

そろそろ書かないとバックナンバーが流れてしまう。
Webラジオ「沢城みゆきと12の夜」にNARASAKI氏(とにかく大槻ケンヂと組んでる人)が出たときの話。

「僕は歌詞を聴きません」という趣旨の発言をしていたのだけど、俺にしてみればそんなことがあり得るのかという印象だった。

冷静に考えると、主旋律(あるいは楽器)としてのボーカルを聴かない、ということではないのだろうと思うし、あとから出てくる「林檎もぎれビーム」の初期歌詞案がデンパでどうしようもなかった、という話と合わせたり、下手をすれば辞書があっても意味がわかんなかったりする(言い回し的な意味で)洋楽まで視野を広げれば、そういう聞き方はあるんだろうな、とも思うのだが。

逆に楽器演奏の部分をカラオケとか伴奏とか言ったら張り倒されるのだろうか(笑)。

俺は歌詞を聴く楽しみを、歌曲を聴く行為の中で最上位に置いているのだと思う。なんだったら歌詞読むし。
昔みたいに歌詞が現代の言語表現の最前線だ、までのことを言うつもりはないんだけど。

で、次が声で、その次がアレンジかな。
逆に「ノリがいい」とか「美メロ」とかっていうものが今ひとつ理解できない。

だからっつってystkあたりが人間の声を「変な音のする楽器」と割りきっちゃってるのとか、木村カエラとかが時々かます歌詞の意味性を意図的に放棄した曲とか、別に嫌いじゃないんだよ?


日本語は元来聴き手の想像力に頼る言語だから韻文(詩や短歌・俳句など)に適しているという説も、日本語はレガート過ぎてリズムの強い音楽に乗せるにはイマイチ向かないという説も聞いた覚えがあるし、正直どっちもどっちに胡散臭いんだが。

そんな小理屈は抜きにしても。
やっぱ母国語ベースの歌曲を聴く楽しみっていうのは、その国の人間しか本当の意味で享受できないと思うんだよ。
じゃあ日本人が英語で歌うことに如何程の意味があるのかって、俺に聞かれても困るけど(笑)。

と言うわけで、絶望しないでくれ。畑亜貴さん。
(超あさっての方向の結論に我ながら驚いている)

投稿者 ushila : 2010年08月18日 08:37

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