« 7/20 乙女音楽研究会~つけまつげナイト!~@渋谷 青い部屋 | メイン | 5/18 青年団若手自主企画 vol.38『新宿八犬伝 第一巻 -犬の誕生-』@アトリエ春風舎 »

2008年07月24日

7/11 百景社「オセロー」@つくば市豊里ゆかりの森 屋外ステージ

今年35本目に見た演劇。

百景社「オセロー」
原作:W・シェイクスピア
構成・演出:志賀亮史

*以下は週末に行われる劇評セミナーの宿題で書いたものです。
*赤点の原稿だと思ってもらえれば幸いです。
*どれだけ自分の言葉として使えてないものが多いか痛感するばかりです。

---

 今回の“オセロー=悲劇”は人の持つ腹黒さに笑った。
それは何処となく複雑な気分ではあるが、
「憎みと悲しみが今回のオセローにあった」というよりも、
人が落ちてゆく様が可笑しくて、
そう思ってしまうこと自体がなんだか悲しいということにも思えてくる。

 百景社はつくばを中止として活動するの劇団で、
今回のステージは“つくば市豊里ゆかりの森”の屋外ステージ。
舞台は、普段なら舞台であろうところに観客席が、
普段は観客席側となるところに、緩やかな斜面になったステージが組まれていた。
ステージ上には穴が5つあり、演劇が始まるとわかるのだが、
その穴から俳優が出入りできるようになっている。

 オセローの部下であるイアーゴーの語りから始まる。
イアーゴーがオセローを憎み、復習を計画する下りを
友人のロダリーゴー(といっても犬の縫いぐるみ)と語る。
やがて登場人物がそろい、イアーゴーの独白のような語り口で
復讐へ手はずが進むのだが、面白くことが運ぶので、
イアーゴーは可笑しくて可笑しくてしょうがない。ただ一人高笑いである。
奸計なんだから、影でひそかに笑っていてもいいものではないか。
そんなに笑ったら計画がばれちゃいますよ、とは言わないけど、
野外のしかも夜に響き渡る笑い、これが逆に孤独さが漂い、
たとえこの先うまくいっても破滅への道が見えてくるだけの
空虚な空間を意識させる感じであった。
それでも、イアーゴーのやってることに
後ろめたさを見ながら同情しかねない気分になる。
それはイアーゴーが落ちてゆく孤独と進み行く復讐のスパイラルである。

 一方のオセローはイアーゴーの奸計により
副官のキャシオーに疑いを募らせていく。
猜疑心の塊となっていくにつれて周りの共演者は、
水鉄砲で水をかけ、バケツで水をぶっ掛けて、
そしてやがてやがてずぶぬれとなったオセローは
衣装を脱ぎ捨てパンツ一丁となる。まるでドリフのコントの様である。
疑いの心にまみれるところが本来悲しいことかな、と思うところだが、
水を浴びせかけ、人を貶める行為に、むしろ滑稽で仕方ないものを感じる。
水にそしてオセロー自身に溺れてゆくのである。
イアーゴーがそれを見て、可笑しくて可笑しくて仕方がなく、
こちらもパンツ一丁で舞台を転がる転がる。
あまりの転がりっぷりに、この孤独な様を誰かなんとかしてやってくれ、
と思いながらも、いいぞイアーゴーもっとやれー、
と自分のどこかで感じているのを否定できずに、
イアーゴーか自分かどちらに笑えばいいのか苦笑するばかりであった。
結局、奸計はイアーゴーの妻によって暴露されるのであるのだが、
それは、イアーゴーのさらなる転落と同時に救いであったのだろうか。
人の企みによる転落から、絶望への転落。この2段落ちが引き立ったのが、
水をかけるという演出であり、イアーゴーの笑いであろう。

 悲劇の原因たる二人の人物を中心に描いた今回のオセローは、
涙ではなく笑いなくして見られない、といったところだろうか。
これは言い過ぎかもしれないが、
人が落ちてゆく様を見るのは悲しいことでもあるだろうが、
このオセローを見ると「ざまあみろ」な気分なのである。
それを嫌味なく見せてくれたという点で非常に面白かったが、
その一方で、そう思ってしまうことへ嫌気も感じさせるだけに、
悲劇の根深さを感じざるを得なかったのであった。

投稿者 i_rain : 2008年07月24日 00:50

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.torihan.com/mt/mt-tb.cgi/955