« いろんなところに書かれてるが | メイン | フルメタルなんとか。 »

2010年06月25日

ツイッターで唐突にキレた件

> プロレスならリングの中で。ケンカなら路地裏で。プロがプロにケンカ売るのにカタギさん用の入口使うようになっちゃ終いだぜ。つって。

しかしツイッターってのは書ける文章が短いので必然投げっぱなしになって、
ブログとかとは違う文章センスが必要だな。
俺のような人間は攻撃性が露骨になる。


サイバラの「できるかな」でおなじみ、新保信長氏が「ブラよろ」佐藤秀峰にケンかを売ったそうですが。

この件についちゃあ、俺ぁ新保くんに分が無いと思うね。

要するにだ。
クリエイターに社会性なんか求めんじゃねーーーーー!!!
(集中線&書き文字ザシャァァァァァ(吼えペン風))

というようなことが言いたいわけである。

ましてや巻末のコメント欄にコメント寄せないのがファンサービス不足だとか言う重箱の隅をつつくような理由でイタイ子刺激する必要は無いだろうよ。
しかも素人さんのために用意された質問コーナーで。


ぶっちゃけた話。
編集者とか二次利用者(テレビ局とか映画会社)とかの、への不信を持ってる人を相手に、その不信を更にあおるようなアプローチしてどうするよ、っていう話だ。

それはともかく。
編集者の役割は、プロデューサーか「作家の一番近くにいる批評家」だと思うんだよ。
コンシューマーのニーズに合わせたプロダクトの方向性を示しつつ、
作家の持ち味を引き出す、って言う。

一昔前の音楽業界で言うところのA&Rってヤツだ。

物理的な意味での生産と流通が意味を失いつつある(または、失ってしまった)「メジャー」にとって、存在意義なんてそんなもんしかない。
(音楽業界におけるそれについては、このブログをバンプか鈴木祥子で検索してください)

何言ってるかっていうとさ。
個人的には佐藤秀峰の作家性は必ずしも好みではないけれども。
以前にどっかで「泣きの構造が露骨過ぎて透けて見える」って言う評価をした記憶がある。

ただね。
唯一絶対、とは言わないまでも、それなり以上のオリジナリティとクリエイティビティを発揮してる作家は、基本的には擁護するべきだと思うんだ。俺は。


佐藤秀峰(とかまあ、あの辺の作家。あの人とかあの人とか)にとって必要なのは、
かぶってしまった殻を破って、もう一段階すごい作家に進化させるための信頼関係を築ける「編集者」だ。


それができないなら、作家が金になってるうちは、足の裏を舐めてでも玉稿を頂戴できる召使を差し出して、金にならなくなったらさっさと打ち棄てるしかない。
作家にとっても出版業界にとってもセカンドベスト、という感じがするが。


野良(またはフリー)編集者ってのは立ち位置的には作家に近いのかも知んないけどさ。
(炎尾燃的に言えば「社会人か否か」という意味で。
 または大塚英志みたいに「評論家」に暮らすチェンジできれば更に)
新保氏のアプローチは、少なくとも俺には佐藤秀峰という作家と出版業界にとって必要な「編集者」としてのそれとは思えない。

タイガー・ジェット・シンの猪木新宿襲撃事件(もちろんアングル)になるか、
猪木・藤波からの馬場・鶴田への「マスコミ辞令」としての対戦要求(馬場さん大激怒)になるか。
さらにはUインターの一億円トーナメント(大ゴケ)か、
ただのとんがったトーシローの道場破り(安生のはアングルだろ)に過ぎないのか。

アングルだったらほめてもいい。
いややっぱ褒めねえな。スキャンダリズムは俺の敵だ。


ああ。
悪いほうの鈴木健(exUインター取締役)は元気かなあ。。。

佐藤”サトラレ”マコトは元気らしいが、
ってことはサトラレneoはあのまんま終了ってことだよなあ。
光ちゃんかわいいのに・・・・・・。

脳内BGM:"Walk with you"(Bonnie Pink)

投稿者 ushila : 2010年06月25日 22:51

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.torihan.com/mt/mt-tb.cgi/1206

コメント

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)