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2008年12月31日

2008年善光寺様賞

今年も年の瀬がやってまいりました。
この賞は、わたくしこと善光寺牛が、今年も何とか生き延びる原動力になった
さまざまの人・モノゴトを勝手に表彰するものです。

辞退は認められませんので、あしからずご了承ください。

大賞 「さよなら絶望放送」(神谷浩史、新谷良子)
 俺を声優webラジオ廃人の道に突き落とした全ての元凶。
 おかげで俺は週に何本のwebラジオを聴いているのかと。

 だいたい、悪ノリと自虐と自爆でできている、まさに絶望的webラジオ番組。
 説明するより聴いてもらったほうが早い。あなたの心の「ダメ箱」におひとつどうぞ。


音楽賞 「GAME」(Perfume)
 やっぱ音楽的にはPerfumeの年だったよ。うん。
 「シークレットシークレット」の陰に隠れてイマイチ地味だが、
 「セラミックガール」はもっと評価すべき佳曲だと思う。
 あと、"Love the World"は、カップリングの"edge"も含めてかっこよかった。

 次点
 「かくれんぼか 鬼ごっこよ」(大槻ケンヂと絶望少女達)
  正直最後までこっちに音楽賞を贈ろうか悩んだ。明日になったらまた逆転してるかもしれない。
  見事にオーケンであり、見事に絶望先生。
  オファー出しだのは誰だか知らないが、歴史に刻むべき大偉業だと思う。

 次点の次点
 「娘々。サービスメドレー」(マクロスF)
  昔から、マクロス楽曲はやや歌詞がデンパだと思ってるが、このメドレーはかっちょいいよね。
  やっぱヴォーカルパートは取り直したらしい。

 「World's End Wonderland」(東京エスムジカ)
  表題曲がカッコいい。早川大地はystkと並び称されるべき天才だと思う。
  あと、ystkがもう木の子と組まないなら、早川大地と組んでPerfumeさんに
  詞を書いてあげてください(笑)。ダイチも微妙に電池食ってる人だけども。

 「絶望大殺界」(さよなら絶望先生 歌モノ全集)
  これを聴いて以来、現代において職業作家が真の意味で作家性を全開にできるのは、
  実はアニソンなんじゃないかとすら思っているのだが、その辺については追々。

 「真夜中のBoom Boom」(山崎まさよし)
  まさやんはこういう曲が書けてる間は大丈夫だと思った。うん。


主演男優賞 小日向文世(あしたの、喜多善男)
 とにかく「ネガティブ善男」の演技が怖すぎてトラウマ寸前。
 あのぐらいの世代の俳優さんの実力を垣間見た思いですよ。


主演女優賞 宮崎あおい(篤姫)
 新ジャンル「萌え大河」開拓者の偉業をたたえて。
 あんまり見てないけど。


助演男優賞 木村祐一(ハチミツとクローバー)
 ボックス(←もはやボックスとしか覚えるつもりがない)が空気を読みすぎて
 フツーの芝居をしやがったので、ハチクロはローマイヤ先輩の独壇場だった。

 次点
  大杉漣(ハチワンダイバー)
   ニこ神さんバカスw 「おにぎりをください。」がツボった。


助演女優賞 戸田恵梨香タン(コード・ブルー 流星の絆)
  ・どこで見ても2番手ポジション
  ・いつ見てもイマイチ視聴者に伝わりそうもない小難しい表情芝居をやってる風情
  ・声がややハスキーなので、叫ぶ芝居は若干飛び道具
 「日本一の脇役若手女優」の称号を授けたい。さすが俺の戸田ちゃん。
 流星の絆は「主演」のような気もするが、出番多い割に主人公は間違いなく
 嵐の人だなと思っちゃうのは、やっぱ本人も「地味」だからだろう。
 さすが俺の戸田ちゃん。
 関ジャニの誰だかと付き合ってるらしいが、そんなの知ったことか。

 次点
  吉瀬美智子様(ブラッディ・マンデイ)
   土曜の8時に流しちゃイケナいお芝居だと思う。
  藤井美菜ちゃん(同上/鹿男あをによし)
   正統派優等生キャラやらせると、もはや当代一かもしんない。
  比嘉愛未(コード・ブルー)
   よいツンデレでした。


最優秀ドラマ賞 「あしたの、喜多善男」
 久々に緻密な「大人のファンタジー」を見た。まさやんのエンディングもかっこよかったし。
 あと、初めて栗山千明がかわいいと思った(笑)。
 コニタンはどこまでもコニタンだった。

 次点
  「鹿男あをによし」
   脚本の相沢友子に敬意を表して。もちろん原作もよかったんだろうけど。


最優秀新人賞 ランカ・リー=中島愛
 デビューイヤーとしては申し分のない大活躍だったと思う。
 ラジオを聴いてると「ビミョーにそっちに行っちゃうとマズイ」キャラに成長してる
 感じなので、スターダストさんちのこれからの育成手腕に注目だけど。

 次点
  武田奈也(フィギュアスケート)
   何気なく全日本フィギュア見てたらぐっさり刺さった。
   何の罠だ。


ベストCM賞 NTTドコモ
 成海璃子たんが「無料です」「無糖です」「微妙です」いうてるやつ。

 次点
  スバル フォレスター
   みっちゃん(吉瀬美智子様)が嫁に来るなら、おいらも家の地下に秘密基地の3つや4つ作るがな!!


スポーツ賞 神様仏様ミラー様(ジェフユナイテッド市原・千葉)
 ・・・説明、要る?


特別賞 イビチャ・オシム閣下
 東欧の賢者は伝説の中に帰ってゆく。
 願わくば、あなたが日本で本当にやらねばならないと思った仕事とは何ですか、
 と、問うてみたい。


チカラワザ賞 CR 七人の侍(パチンコ)
 ・大当たり中の映像は実写撮りおろし
 ・しかもJJサニー千葉だの永瀬正敏だの出演
 ・さらにBGMはストーンズ
 予算はどうなっているのか。そしてそれは回収できたのか。メーカーさんつぶれちゃわないのか。
 っつーかあの面子で映画撮ったら俺は見るぞ。マサトは丸藤あたりとチェンジ希望だけど。

投稿者 ushila : 20:13 | トラックバック

2008年12月24日

現代J-POP考(4)名曲という罠。

このテーマで、もう何年も前から書いちゃ消し書いちゃ消ししている。

少なくとも大衆歌曲の分野で、「名曲」とは何なのか、という疑問が、ずっと頭を離れない。

要するに、それは「過去にいっぱい売れた、おぢさんたちが過去を懐かしがるときに引き合いに出されがちな曲」って事なのではないだろうか、と。

……いやあのね。むしろ、俺はアレだよ?
古いからダメってことも新しいからいいってこともないと思ってるよ?

しかし、正味な話、「名曲」ってのは、発表された時点でも、リスナーが聴いてる今という時点でもない、どこか一時点で(誰かに)つけられる呼称である、というのは言っていいと思う。

何が言いたいかと言うと、「名曲」と言う称号は、創作(あるいは発表)された当時の評価も、それを聴いている現代のリスナーの評価も反映されていない虚ろなものになっている虞を、常に内包しているのではないか、ということだ。

「名曲」や「名作」と言う称号を頼りに、過去の作品に触れるきっかけを作ること自体は、たぶん悪くない。
しかし、いつだか知れない過去の時点で、誰とも知れない誰かが「名曲」「名作」と名づけた作品以外は鑑賞する価値が無い、とするならば、そりゃ違う。断じて違う。大いに違う。

現代のアーティストが生み出している楽曲にも「名曲」に匹敵する作品は存在するだろうし、残念ながら歴史に淘汰されてしまったアーティストの作品にも、商業的に成功しなかった以外には「名曲」に見劣りしない楽曲は多くある。
だから、1曲の「名曲」を聴くよりも、100曲の駄作かもしれない曲を聴くことのほうが意味があると、俺個人は思っている。

ましてや、「大衆」から「分衆」さらには「個衆」という表現すら生まれた20世紀末から現代につながる時代、その気になれば自宅でレコーディングからトラックダウンまでできてしまう現代において、そこで発表された全ての楽曲を聴き、「大衆」にとって納得のいく評価ができる「誰か」など、存在しうるべくも無い。
(「大衆」がいない以上、もはやパラドックス的でもあるのだが)

そしてその「時代」は、たぶん「J-POP」という言葉が生まれた時代とほぼ一致する。


つまりだ。
これだけ名曲・名作と言う言葉をケチョンケチョンにけなしつつ(けなしてるつもりも無いんだけどな)、最後の最後に寺山修司先生に頼ってしまうのは我ながらどうかと思うが、書は捨ててもきちんと本棚にしまってもいいから、町へ出よう。

そこで出会った楽曲を懐に抱え込んでニヤニヤするのも、ひとつの大衆歌曲の楽しみ方だと、俺は思うのだよ?

投稿者 ushila : 20:37 | トラックバック

2008年12月23日

現代J-POP考(3)「歌謡曲」とはナニモノなのか

doblog時代にやってたシリーズを思い出したように復活させてみる。

 語義的な意味で言えば、「歌謡曲」と言う言葉は、「歌として謡われる曲」という意味しか持たない。

 もっとも、クラシック(ってのもおいらどっかで語るべきかなと思ってんだけども)の歌詞つき楽曲は「歌曲」だし、純粋邦楽(日本の曲一般を「邦楽」と呼ぶのは誤用じゃないかと思ってるけれども)のそれは「謡曲」になるので、概ねそれらからは分離された、「日本における大衆のための現代音楽として創作され、かつ歌唱とともに演奏されることを前提としたもの」というのが定義になるんじゃないかと思う。

 現代において一般的に「歌謡曲」と言えば、「演歌」と、そのわずかな周辺領域(「ムード歌謡」とか)を指す言葉になっているように思われるわけだが、それは「歌謡曲」の歴史に対して誤認識を生ぜしめるのではないか、と考えるのである。

 ぶっちゃけた話。
 「歌謡曲」は、常に新しい表現形態から対立概念にされ続けた言葉なんじゃないかと思う。

 「歌謡曲」と言う言葉が「流行歌」(「カチューシャの花」とか「ゴンドラの唄」とか…)と言う言葉に取って代わった厳密な一時点、と言うものは、不勉強にして発見できないのだが、少なくとも現代的な意味での「演歌」が「歌謡曲」のメインストリームになった時代は、少なくとも戦後しばらくしてからであると言うことだけはできると思っている。
 「演歌歌手」と呼ばれる人々よりも先に、戦前から活躍する声楽の流れを汲む人々が居たことや、たとえば今もって美空ひばりが「演歌歌手」と呼ばれないことも、その証左ではあるまいか。
(ひばりさん、いわゆる演歌も歌ってるんだけどね)

 むしろ「演歌」とは、もともと純粋邦楽よりも20世紀初頭の西洋音楽の影響が強い「歌謡曲」に、半ば先祖帰りのように民謡や浪曲の要素を取り入れた(あるいは「接ぎ木」した)ジャンルだと、俺は考えている。
 演歌のタイトルに、民謡を示す言葉(おけさ、じょんから、~~節など)が多く含まれているように。

 実際には戦後の「歌謡曲」には、いわゆる「流行歌」の流れを汲む、戦前の西洋音楽的な楽曲も多く存在したし、ナベプロ的な「洋楽に日本語詞をつけた」楽曲の流行(ロカビリーブームもこの辺か?)も同時並行的に起こっていたのだが、「演歌」はその先祖帰り的な土着性ゆえか、あるいは民謡歌手や浪曲師と言う別分野で修行を積んだ「ヴィルウトゥオーゾ」(筆者注:わざと使ってます)をその歌い手として選んだことによる「技術」の高度さゆえか、あたかもずっと前からそこにいたようにメインストリームの位置を占めた。

 ここにおいて、「歌謡曲」が狭義において演歌とそのわずかな周辺領域を示す言葉になったと考える。
演歌自体が歌謡曲の一分野であり、あるいはそれに対する、それ以前の文化からのカウンターであったにも拘らず、である。

 で、その後現れた「歌謡曲」には、実にさまざまな名がついたわけだが、概ねそれら全ては「新しい」と言うことや「反体制」と言うことを旗印にした。
(ほぼ唯一そうした動きと無縁だったのが「アイドル歌謡」だったんじゃないかと思うが、あれはあれで「ノベルティミュージックの顔をした、職業作家たちの実験場」という性質を持っている様な気がする)

 しかし、それら全ての「新しい歌謡曲」には、以下のような通底する特徴がある。
  ・欧米の新しい音楽ジャンルに呼応して誕生すること
   この点については、ほぼ説明は不要だろう。

  ・ジャンルの発達とともに言葉=「詞」を重視する現象が発生すること
   英語詞から日本語詞へのバランスのシフト、定期的に起こるバラード曲のヒット、
   ミュージシャン自身の「文学志向」などが挙げられる。

  ・国内の音楽文化にルーツ探しを始めること
   「竹田の子守唄」(赤い鳥)などはやや極端な例だとしても、
   ティン・パン・アレーやはっぴいえんどに対する現代の位置づけなどが例に挙げられる。


 これらのことは、実は日本の歌謡曲=大衆歌曲文化がその誕生からそうであったように、海外の音楽文化と日本国内の音楽文化を混交して新しい表現を導き出すことなのであって、そのジャンルにどのような名前がついていようと、それは「歌謡曲」なのだ、と考えるのである。


で、と。
何が言いたいかというと。
・・・そのうち書くよ。忘れた頃に。

投稿者 ushila : 19:09 | コメント (0) | トラックバック

CD買いあさり。

一度に2万円分も買ったの久しぶりだ。

「娘。たま」
それにしても娘。フロにしても娘。トラ(サービスメドレーが入っててうれしい限り)にしても、娘の後ろにマルつけるのはどこに向けての目配せなのか。その層狙ってるなら、間違ってると思うぞ。
正直、「ライオン」が入ってた以外は、ほぼ何かのマラソン大会。
「0.5キラッ☆ミ」ぐらいしかやれん。コレクターズアイテムだなこりゃ。


DOG'S HOLIDAY OF YAWN「Love」シリーズ
いとこの結婚式のBGに、ラブリー(オザケン)の女性ヴォーカル・カバーが流れてた。
ってわけで3枚まとめて購入。
最初つじあやのの「COVER GIRL」シリーズと勘違いしてたわけだが、
とにかくああいう微脱力系ヴォーカルで「サマーヌード」だの「今宵の月のように」だの
「青いイナズマ」だの歌われるとちょっと腰砕けになって面白い。つか、やや出オチ。
逆に女性ヴォーカル曲はフツー。星3つ。


「COVER GIRL2」(つじあやの)
で、上のDHY探してたら目が合った(無生物なのに)。
つじあやのはどこのスイッチをどう押して、m-floのカバーなんかやろうと思ったんだろう。
ネタ度高いけど。
……実はまだ全部聴けてない。ので採点パス。


「かくれんぼか 鬼ごっこよ」(大槻ケンヂと絶望少女達)
名盤。大ホームラン。もう文句なしの5絶望。墓場まで持っていく。
「聖☆おじさん」聴いたときには、もう世界は滅んじゃっていいと思ったけども、
こんなアルバムがまだ出てくるなら、世界は滅んじゃイカン(笑)。
新曲も6曲入り。全部佳曲。説明拒否!!
(ところで らっぷびと って別にラップじゃないね)


「SWEET SERENITY」(鈴木祥子)
発売元はソニミュの通販ブランドかなんかになってた。
前作「鈴木祥子」に比べるとだいぶフツーというか、安心感のある仕上がり。
やっぱアレは怪作(ある意味快作)だった。
俺がタワレコとかに行くと、なぜか鈴木祥子か篠原美也子のどっちかは新譜が出てる感じ。
それはそれでいい世の中になったなあ、とも思う。


「COLTEMONIKHA2」(COLTEMONIKHA)
酒井景都という人は、「大人の女性が子供っぽく振舞うと逆にエッチい」ということを知り尽くしてる感じがする。じゃなきゃこんなお菓子だの夢だのいう言葉が乱舞する歌詞書くかい。
一方ヤスタカはヤスタカでそこに全乗っかりして、明らかに装飾過剰気味にきらびやかな(グロッケンシュピールてんこ盛りみたいな)アレンジつけてるし。

アレですよ。
・やや頭でっかちなオシャレ女子
・ほぼチカラワザで自分をかっこよい風に見せてる文科系サブカル男子
・過剰かつどっか勘違い気味で、ある意味鼻持ちならないスノビッシュな
 オシャレポップ展開(いい意味で)
こそ、正しい渋谷系(いつか刺されるな俺)だと思うので、断固支持。実際逆らえてないしな。
これ渋谷では流れてないと思うけど。

というわけで4きゅうり味噌汁(ystkの出身は金沢)。コルテモニカ3はまだか。


「月凪 THE WORLD OF ETHMUSICA PRIMITIVE」(東京エスムジカ)
メジャーデビュー前の東京エスムジカのミニアルバムの再発版。
とにかくもう、エスムジカ。以上。
ある意味Daichiは芸風がこの頃に戻ったんだろうか。という気もしなくはない。

投稿者 ushila : 19:06 | コメント (0) | トラックバック

2008年12月07日

小室哲哉氏 と わたくし。

俺が彼を「コムロ大先生」と呼ぶのは、やや皮肉まじりであるのだが、それはさておき。

小室先生が以前におっしゃっていたことで、強く印象に残っている言葉がある。

正確に覚えているわけではないが、
「自分が作った曲は将来、「名曲」とは呼ばれないかもしれないが、
 今という時代を映したものとして心に残ればよい」
というような言葉だったと思う。
(大衆音楽に対して用いられる「名曲」という言葉には俺自身前々から胡散臭い
 ものを感じていて、それはそのうちまとめようと思いつついつも先送りになっている
 のだが)

果たして、小室哲哉が残した曲が彼が言うような評価になるかどうかは、
もう10年ぐらい経たないとわからないんじゃないかと思うわけだが、
芸術・芸能やスポーツの分野には、ときおりあのような人が現れる。

時代の空気を敏感に嗅ぎ取り、また時代に求められ、そして時代を作る人物だ。

俺自身は、いわゆる「プロデューサー小室哲哉」という人の作る音楽が
必ずしも好きではなかったし、なにぶんにも逮捕という出来事の直後なので、
「たとえばこの人のような」というたとえがしにくいわけだが。

とにかくそのような人を呼ぶ呼称は、「怪物」とか「時代の寵児」とか「時代と寝た」
とかいくつかあるけれども。
彼のことはニュートラルに考えて間違いなく「天才」と呼んでよいのだと思う。

で、その天才の作品たちを現在の尺度において「駄作」と切り捨てるのも、
「あんなことをした人の作品」として封印するのも、
必ずしもフェアな態度とは言えないんじゃないかな、と思う。

いいじゃん。
これからの彼の物語がどのように紡がれるにせよ、
日本にはコムロ大先生に踊らされた時代があった、ってことで。
大衆音楽にシンセサウンド・ダンスサウンドを定着させたのは、間違いなく
彼の偉業だったと思う。

ぶっちゃけ、芸術家とアスリートは、功績においてのみ評価されるべきだと思う。
人柄だ常識だで図りたいなら、そりゃそのへんのサラリーマンとかでやってくれ。

投稿者 ushila : 21:30 | コメント (0) | トラックバック

最近更新が止まっていたのは

単純にPSPの「ギレンの野望 ~アクシズの脅威~」にハマっていたから。
「ジオンの系譜」あたりからずっとやってる割にはヘタっぴなので、
1部が終わるころにはまだゲルググBの開発が終わってない感じ。
クリアにも300ターン以上かかるし。
どっちかというと高級機にエース乗せてバリバリ進撃していくのが好きなので、
安い機体の運用がヘタなのがまずいんだろうな。
(ゼーゴックですら、いまだに海マップ以外の運用方法が確立できなくて、
 作っちゃ落とされてる)

ジャミトフ閣下3回ぐらい暗殺されたし。
エゥーゴ編とかつらすぎて心が折れかけたし。
気がついたらキャスバルも専用ガンダムも埋まってたので、
ネオジオン(キャスバル)投げたし。
新生ジオンは完全にビグザムだよりだし。
それでも図鑑はあと4ユニット埋めればコンプだ。がんばるー。
キャラは・・・わかんねえ。ざっくり10人弱?

投稿者 ushila : 21:28 | コメント (0) | トラックバック