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2005年05月10日

After the 145cm

ひっそり始まって、ひっそり終わってましたな。

言ってみればこれは145cmシリーズという超大作アルバムの最後に収録された、シークレットトラックのようなものだろう。
(ついでに言えばハニパなんてのもあったな)
今4126氏が娘。とその周辺に対して感じていることをかいま見ることはできるが、シリーズの完結編と捉えるのには(たとえ作者がそう明言していても)、個人的に抵抗がある。

セカンドアルバムはあるのか、無いのか。
実はシークレットトラックが一曲では終わらないのか。

あるいは「かつて4126と呼ばれし男」と、どこかで再会することになるのか。
今度はバンドか、「後浦なつみ」か(笑)。

そんな無責任なことを言い散らかすのもオーディエンスの楽しみ、と、ご理解いただければ幸いです。

JBのガウンパフォーマンスというか、ザ☆ピ~スの後奏のような、
わさび&きむち>まめ>たまごと連なる「なかなか終わらないエンディング」をリアルタイムで見た人間としては、素直に「おしまい」を信じるわけがないのだ。わっはっは。

投稿者 ushila : 23:54 | コメント (0) | トラックバック

エース。

俺的には、久住小春はベリーズ工房のお子ちゃまたちと何が違うのかよくわからないのですが、問題は彼女の資質云々にあるのではなく。

つんくがいくらエース級、ミラクル級と連呼しようとも、オーディエンスがそれを認めなければなんともならん、と言う話ですよ。

100歩譲って、エース候補、ぐらいの意味にとらえるにしても、エース候補ならゴロゴロしてるでしょう。
そういう素材を上手に使えずに、新加入のシロートにエースとしての役割を求めるとは片腹痛い。

高橋愛さんが娘。加入当時に、事務所からあからさまなプッシュをされてファンの不興を買ったのも今は昔のことではありますが。

れいにゃにせよガキさんにせよ、大抜擢という一種の奇策はことごとく失敗に終わっているわけで。
失敗を続ける奇策にこだわり続けるなどは、迂回と夜襲以外に能がなかった日本軍とか、ノーアウト二塁か三塁でバントしないと死んじゃう病の野球監督のようなもので、そりゃ負け戦ですよ。

プロダクト側は大抜擢に、ゴマキの再来、みたいなものを期待してるんだと思うのですが。
ラブマにせよダンスサイトにせよ、シャボン玉や愛の園における田中れいなのように巨大なパートが振られているわけではないのですよね。
後藤真希は確かに一人で戦術を成立させてしまう、偉大なプレイヤーではあったと思うのですが、もしプロダクト側が新人を「後藤のように」抜擢する、と考えているのであれば、それは娘。の歴史を誤認識していると指摘せざるを得ません。

いや、まあ、後藤真希は大抜擢作戦の成功例だったとしましょう。
それにしても、当時の娘と今の娘では、やってることの難易度が段違いに難しい(音楽的には退行してるかもなあ、とも思わなくはないですが)わけで、同じことをやるにしてもその成功のために抜擢される当人に求められる要件は、当然、格段に厳しいであろうことは、容易に想像がつくわけで。


……やや論旨が拡散した感がなきにしもあらず。
繰り返しになりますが、つんくがリップサービスやセールストーク的にエース級、ミラクル級と連呼しているのであれば、見向きもしません。って言うか、今すぐジャパネットたかたの通販のおじさんにでも転職してください。

どんなに曲がる変化球も、魂がこもっていなければあっさり打たれる、などと申します。
フルスイングができなくなった時にスランプが始まる、などとも申します。
流れ弾は臆病者に当たる、なんて、物騒な話もありますな。

久住小春がエースだと言うのなら。
彼女と心中する覚悟でプロダクトをしていただきたい。
社運とか作家生命とか社会的地位とか、いろいろ賭けて惜しくない作品を作っていただきたい。

その覚悟が無くエースだ、ミラクルだ、救世主だ言ってるなら、そりゃ単に自分の無能を娘。たちに押しつけて、そのフォローを1990年代生まれのコムスメに丸投げしてる、わかりやすいダメ人間の図ってヤツですわ。

投稿者 ushila : 23:51 | コメント (0) | トラックバック